『 加藤大治郎選手お別れ会!!』 |
■2003年4月6日(日)三重県鈴鹿サーキットにて、MotoGP開幕戦が行われました。 今年チャンピオンを目指す『 加藤大治郎選手 』が、決勝レース3周目で、シケイン手前で 転倒し左側防護体衝突・・・意識不明のまま病院にヘリコプターで搬送されました。 2週間におよぶ治療を続けてましたが、容態が急変し、2003年4月20日午前0時42分 脳梗塞の為、26歳の若さで亡くなられました。 ■2003年5月18日(日)・・・ホンダ青山ビルにて、『 加藤大治郎 』選手のお別れ会が開催 されました。当日は9,000人のファンの方々が献花に訪れ、改めて大治郎選手の大きさ・ 偉大さがわかったような気がします。全員の献花で 『 大治郎 』選手を送りました。 ■管理人コメント・・・ 前日に夜行バスに乗り兵庫〜渋谷まで行き、開場45分前くらいに青山ビルに到着しました。 すでに100人くらいのファンの方が並んでおられました。大治郎レプリカヘルメットや、Tシャツ を着た人や献花の花束を持った方々も多くみられました。 時間が来て、会場に入る事が出来ました。記帳を済ますと、係りの人がカーネーションを一輪 手渡して下さいました。 始まりのセレモニーに参加させてもらえた感じでした。 献花場祭壇前には、大治郎選手の笑顔の写真が飾られていて、大治郎君の活躍を思い出して いると自然に涙が流れていました・・・ 時間が来ました。挨拶の後に、加藤家の方々献花・・・ホンダ関係者献花・・・と進み・・・ファンの 方々献花って順番でした。会場に来られなかったファンの方の分のお祈り・献花を済ます事が 出来ました。『 大ちゃんいまままで感動ありがとうっ・・・ 』 2階の会場から下のメモリアルコーナーに進むと、すでにファンの方々で一杯でした。 外にも並んでる人の多さが伺えました。 1997年のNSRは見たことが無かったので、嬉しかったです。2000年〜の鈴鹿8耐優勝マシン は懐かしく思いながら、今年のRC221V等のマシンの撮影をしました。 大治郎君のルーツのポケバイや、愛用のサングラス・ラジコン等々も展示され故人を偲ぶ事が 出来ました。 岡田監督・宇川選手・武田選手・亀谷選手や、グレシーニ監督の姿もみられました。2時間くらい 知り合いと喋ったり、写真撮影をしてから青山ビルを出ました。するとビルを2周くらいのファンが 並んでいてビックリしました。後で聞いた話だと、献花場までは一時間以上かかったらしいです。 全国各地から、『 加藤大治郎 』選手が愛されていたんだなって・・・ 『 大ちゃん 今まで感動をありがとうございました 』 ■『 #74 』は永久欠番になりました。大治郎選手も日本人初史上13人目の 殿堂入りになりました。 これからもファンのみんなの心に『 #74 加藤大治郎 』が刻まれる事かと 思います。複雑な気持ちですが、『 大治郎伝説の始まりです 』 |