献花式の様子です。 笑顔の大治郎君・・・ 一輪のカーネーションを献花です。
偉大な世界チャンピオンでした・・・
■鈴鹿8耐初優勝/#4 ペアライダー宇川徹選手
2000年8耐初優勝!! #4 宇川徹選手とのペアリング!! 凄いバトルでの優勝でした。
■1997年全日本選手権チャンピオン獲得
1997年初年間チャンピオン獲得!! 年間チャンプ獲得マシン スポンサーはカストロール
■#74 RC211V 2003年チャンピオン目指す・・・
今年からテレフォニカに戻っての参戦・・・ 03年チャンピオンを目指す・・・ 遺作のマシンになってしまいました・・・
■2002年8耐優勝/#11 C・エドワーズ選手
2002年8耐2回目の優勝!! ペアライダーは、C・エドワーズ!! 身長差があって凸凹コンビでした。
■2001年世界選手権年間チャンピオン獲得
2001年念願の世界チャンピオンに・・・ 怒涛の強さでチャンピオン獲得・・・ #1が輝かしいです。
■自慢の愛車フォルッサ & ラジコン
愛車フォルッサです。 友人の本山哲選手に進められて始めたラジコン ナンバープレートも付いたままでした。
■大治郎選手のヘルメット
8耐優勝ヘルメット!! 03モデル・・・遺作となってしまいました。 オフロード練習用ヘルメットです。
■2003年度のレーザースーツ / チャンプTシャツ
03のツナギです。 遺作となってしまいました・・・ 2001年のチャンピオンTシャツ!!
■大治郎選手のレーザースーツ
1997優勝つなぎです。 8耐優勝ツナギです。 オフシーズンテスト用!!
■サイン入りパネル展示 / 表彰状
サイン入りパネルです。 表彰状・・・ 表彰状を受け取る様子です。
■全国各地から 一杯のファンが駆けつけてくれました。
全国各地から集まってくれました。 青山ビル2周はしています。 献花場に行くファンの人々・・・
■大治郎選手のルーツ ポケバイ
大治郎君のレースのルーツのポケバイ 当時のツナギとヘルメットです。 ステップUpした頃のマシンです。
■自慢のサングラス & オフロード練習用マシン
ドライバーのヘルメットは、大治郎仕様!! サングラスの数々です。 オフシーズントレーニング用
『 加藤大治郎選手お別れ会!!
■2003年4月6日(日)三重県鈴鹿サーキットにて、MotoGP開幕戦が行われました。
 今年チャンピオンを目指す『 加藤大治郎選手 』が、決勝レース3周目で、シケイン手前で
 転倒し左側防護体衝突・・・意識不明のまま病院にヘリコプターで搬送されました。
 2週間におよぶ治療を続けてましたが、容態が急変し、2003年4月20日午前0時42分
 脳梗塞の為、26歳の若さで亡くなられました。
■2003年5月18日(日)・・・ホンダ青山ビルにて、『 加藤大治郎 』選手のお別れ会が開催
 されました。当日は9,000人のファンの方々が献花に訪れ、改めて大治郎選手の大きさ・
 偉大さがわかったような気がします。全員の献花で 『 大治郎 』選手を送りました。

■管理人コメント・・・
 前日に夜行バスに乗り兵庫〜渋谷まで行き、開場45分前くらいに青山ビルに到着しました。
 すでに100人くらいのファンの方が並んでおられました。大治郎レプリカヘルメットや、Tシャツ
 を着た人や献花の花束を持った方々も多くみられました。
 時間が来て、会場に入る事が出来ました。記帳を済ますと、係りの人がカーネーションを一輪
 手渡して下さいました。 始まりのセレモニーに参加させてもらえた感じでした。
 献花場祭壇前には、大治郎選手の笑顔の写真が飾られていて、大治郎君の活躍を思い出して
 いると自然に涙が流れていました・・・
 時間が来ました。挨拶の後に、加藤家の方々献花・・・ホンダ関係者献花・・・と進み・・・ファンの
 方々献花って順番でした。会場に来られなかったファンの方の分のお祈り・献花を済ます事が
 出来ました。『 大ちゃんいまままで感動ありがとうっ・・・ 』
 2階の会場から下のメモリアルコーナーに進むと、すでにファンの方々で一杯でした。
 外にも並んでる人の多さが伺えました。
 1997年のNSRは見たことが無かったので、嬉しかったです。2000年〜の鈴鹿8耐優勝マシン
 は懐かしく思いながら、今年のRC221V等のマシンの撮影をしました。
 大治郎君のルーツのポケバイや、愛用のサングラス・ラジコン等々も展示され故人を偲ぶ事が
 出来ました。
 岡田監督・宇川選手・武田選手・亀谷選手や、グレシーニ監督の姿もみられました。2時間くらい
 知り合いと喋ったり、写真撮影をしてから青山ビルを出ました。するとビルを2周くらいのファンが
 並んでいてビックリしました。後で聞いた話だと、献花場までは一時間以上かかったらしいです。
 全国各地から、『 加藤大治郎 』選手が愛されていたんだなって・・・
 『 大ちゃん 今まで感動をありがとうございました 』 


■『 #74 』は永久欠番になりました。大治郎選手も日本人初史上13人目の
 殿堂入りになりました。
 これからもファンのみんなの心に『 #74 加藤大治郎 』が刻まれる事かと
 思います。複雑な気持ちですが、『 大治郎伝説の始まりです 』

■2003年5月19日(月)更新
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